【公式】松本忠之「中国人は反日なのか」(コモンズ出版)著者のブログ

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【最多優勝vs美学vsオイルマネー -プレミアリーグのタイトルを獲るのは-】コラム:クアットロディチ第十三回(その二)

イングランド・オランダ・日本・中国の各国の指導者ライセンスを所持するサッカースクール!

小松英之の連載がブログで紹介されました!

【コラム】クアットロディチ 第十三回

『最多優勝vs美学vsオイルマネー -プレミアリーグのタイトルを獲るのは-』(その二)

 03-04シーズン以来の優勝を狙う2位アーセナルはこの時期になってもまだタイトルの可能性を残しており、例年ならば「終戦」となっている現在、首位ユナイテッドとの勝ち点差は4。展開しているサッカーのクオリティーは高いだけに、期待できる。

 シーズン開幕前に、ボルドーから加わったモロッコ代表FWマルアン・シャマフが「高さ」という武器を前線にもたらし、攻撃の基準点となると共に、オランダ代表FWロビン・ファンペルシーの離脱期間をよく埋めた。ここまで7ゴールはまずまずの結果だろう。

 守備陣も新加入のフランス代表DFロラン・コシエルニー(ロリアンから)、同代表DFセバスティアン・スキラチ(セビージャから)を補強したが、まずまず安定している。

 しかし、何よりも大きかったのは、大黒柱、スペイン代表MFセスク・ファブレガスのチーム残留だろう。開幕前、古巣バルセロナ復帰は確実か、と言われていた彼だったが、ガナーズ指揮官アーセン・ヴェンゲルの必死の説得や抵抗もあり、残留を果たした。 結局のところ、彼あってのチームだから、これは重要なポイントだった。

 後のインタビューで、セスクは「自分をプロの選手として初めて迎え入れてくれたのがアーセンだった。彼のおかげで僕はここまで成長できたんだ」と”恩師”への恩義こそが残留の決め手になったと語っているが、バルセロナ側はその後も執拗にアプローチをかけ、セスクがバルサに来たがっているが、「高額な移籍金」がネックになっていることを明かすなど、真意のほどは分からない。

 分かっているのは、今セスクはガナーズにいる。このまま行けば彼は7シーズンぶりにガナーズに栄光をもたらしうる、その牽引車になる、ということだけだ。

 

 おそらく、バルサにいけばセスクは今以上のタイトルを獲得することは可能だろう。しかも容易に。ただ、セスクはこう考えているのではないだろうか。より困難なミッション、つまりアーセナルでタイトルを獲得すれば、それはほぼ「自らの手でクラブをタイトル獲得に導いた」と己の力を世界に示したことになる。セスクが23歳にしてそこまでのコンダクターとなれば、ペレやマラドーナのような「伝説のプレーヤー」達と肩を並べる、という事だ。

 しかし、アーセナルが栄光をつかむためには改善しないといけない点がある。前述したように、ディフェンス陣に新加入選手がいるため、連携に難があるのか、第4節のボルトン戦(ホーム)では、ヘッドでキーパーにバックパスしたボールを相手FW韓国代表イ・チョンヨンにかっさらわれ、失点につながっている。また、先日の第25節敵地セント・ジェームズ・パークでのニューカッスル戦では、4点差を追いつかれるという醜態をさらしてしまった。4点ビハインドを追いつく、というのはリーグ史上初というおまけ付きで。いずれも優勝を狙うクラブならば犯さないような「ポカ」ばかりで、したたかなクラブはこういった隙を必ず狙ってくる。 

 こういったミスをどれだけなくしていけるか。それが今後の課題だろう。

 

 また、アーセナルはCL1回戦ではバルセロナと対戦する。考えようによっては、あっさり敗れた方がその後のリーグ戦に集中しやすいのかもしれない(16日にエミレーツで行われた1レグは勝利したが、バルサの破壊力を持ってすれば2レグの5-0というスコアも十分に考えられる、マドリーすら粉砕してしまうのだから)。

 

 今のバルサをそう簡単に破ることなど出来ない。もし接戦になって、PK戦の末に敗れたら、「あと一歩だったのに」というメンタル的なショックが尾を引き、後々の戦いにまで影響を及ぼしかねない。

 

 日本には「二兎を追う者は一兎をも得ず」という諺があるが、基本的にはどのクラブも二兎を追うだろうが、ヴェンゲルはこの状況をどう見ているだろうか。

(続く)

<筆者紹介>

中島雅淑 1983年 9月5日生まれ

19931996 地元の小学校のサッカー少年団でサッカーを始める。 当時は宇宙飛行士を夢見ていて「体を鍛えるため」という名目だったが、次第に魅力に取り付かれていく。

19961998 中学校のサッカー部に所属。 

1999- 高校受験とともに辞め、進学校だった事もあり、一時期サッカーから離れるも、プレーしなくなった事により、見る「目」が肥えてくる。 また、高校2年時にはアジアカップ2000が開催され、再びサッカー熱に火がつくようになる。 

2002- 大学のサークルでプレー。日韓W杯は全試合観戦。また「瑞穂陸上競技場」「豊田スタジアム」で名古屋グランパスの売り子アルバイトをしながら試合を観戦

2003- 大学中退して大阪へ 専門学校のフットサル大会のため体を動かす程度。テレビ局の関係でチャンピオンズ・リーグを定期的に観戦。

2005 3月 インターンシップで第87回センバツ高校野球スポニチの取材補助を経験。

2006- 仕事の関係で東京へ プレーはしなくなるが、WOWOWに加入していたため、毎週リーガエスパニョーラを観戦。

2007- 地元岐阜に帰還。 FC岐阜が財政危機に陥っているという話を聞き、「地元のクラブを助けなければならない」という思いから、定期的にスタジアムに観戦に行く事になる。

また、市民参加型インターネット新聞新聞サイト「オーマイニュース」に登録して、スポーツ記事を主に発信。年末には活躍が認められ韓国での記者交流会に参加。

2010- テレビ局の関係でプレミアリーグを見るようになる。

<エピソード>

嫌がる元カノを無理矢理瑞穂陸上競技場グランパス戦へ、 せっかくガストでいい感じで女の子と食事していたのに02/03のクラシコがテレビ放映されていたため、気がそっちへ行ってしまった実績あり。

波乱万丈な人生を歩む、だが東海屈指にフットボールを愛している27歳の男。

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