【公式】松本忠之「中国人は反日なのか」(コモンズ出版)著者のブログ

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【世界一のSBへ-長友は「日本のパク・チソンになれるか-】コラム:クアットロディチ第十二回(その二・完)

イングランド・オランダ・日本・中国の各国の指導者ライセンスを所持するサッカースクール!

小松英之の連載がブログで紹介されました!

【コラム】クアットロディチ 第十二回

『世界一のSBへ-長友は「日本のパク・チソンになれるか-』(その二・完)

最後に、長友が輝くためのカギを挙げておく。それは、自身が入団会見でも語っていた、「1対1でのスピード」を恐れず、自信を持って存分に発揮することだ。

 「スピード」と一口に言っても色々あるが、ほとんどの人が、C・ロナウドやメッシのようなプレーヤーがドリブルでDFを振り切る際のスピード、ゴールを決める際に見せる瞬間的なスピードを思い浮かべると思う。しかし、ペナルティエリアのスペースを見つけて、危険なスポットに飛び込むスピードは距離にして35m程だし、1秒にも満たない動きだ。 マラドーナの5人抜きドリブルならともかく、スペースも時間的な余裕もない現代サッカーにおいて、ドリブルで抜いていける距離はせいぜい2030mだ。

 ところが、最も運動量が要求されるサイドバックに関しては、攻守の切り替え時に自陣から攻撃参加、その攻撃が得点にならなかった場合はまた自分の持ち場まで帰らなければならないというダッシュを90分のうちに何十往復とすることになる。

 長友の動きを見ていると、ついさっきまで自陣の深い位置にいたと思えば、もうテレビ画面の端にいつの間にか現れているのだ。 これは距離にすると80mのダッシュを繰り返している計算だ。しかも驚くべきスピードで。 サイドバックに必要な資質はどちらかというと、このような長距離をランニングできる「スピード」だ。その点で確かに長友は優れていると言えるだろう。 そしてアジアカップ2011決勝戦で見せたように、それをいつまでも維持し続ける驚異的なスタミナも持ち併せる。これは長友の”武器”と言えるだろう。

 強力な武器を有する長友だが、とはいえ彼はまだスタートラインに立ったに過ぎない。 もう一つのカギは、既にアジア人としてこちらはイングランドナンバーワンのクラブ、マンチェスター・ユナイテッドで活躍する、元韓国代表FWパク・チソンだ。

 かつてはJリーグでもプレーしていた彼は02年日韓W杯終了後、恩師フース・ヒディンクに導かれ、PSVアイントフォーヘンに渡った。そしてCLで結果を出し、ユナイテッドへ移籍していく。現在もユナイテッドのレギュラークラスとしてクラブを支えている。世界中のファンだけでなく、クラブ指揮官、スカウト、首脳陣の集まるチャンピオンズ・リーグでの活躍が彼がトッププレイヤーへの仲間入りを果たすことになった大きな要因だ。

 (元々オセアニア圏で、母国語も英語であるオーストラリアはともかく)アジアはまだまだ「第三国」と見られている。過去のW杯の成績を基準にすると仕方ないことなのだが、そんな”欧州の常識人”のハナを明かすには、やはり大きな大会で活躍する、これに尽きるだろう。例えば、4月3日に行われるACミランとの” ミラノ・ダービー”は結果至上主義の国、イタリアらしく「疑惑のPKで1-0で勝てればそれはある意味で最高の勝ち方だ」と言われるほど、互いの意地とプライドがぶつかり合い、負けられない一戦となる。チェゼーナ所属時にパトやイブラヒモビッチ相手に一歩も引かなかった長友がこの試合で活躍すれば、英雄のように称えられるだろう。

 インテルはこれから全コンペティションを戦い抜いていかなければならない。長友の出場機会はおおいにあると見ていいだろう。しかもヨーロッパでは同時にEURO2012の予選も進行していく。全く疲労・ケガを抱えていない選手など終盤戦ではいないだろう。 与えられたチャンスを生かせば、レンタルから完全移籍への契約変更はもちろんのこと、長友自身の評価の上昇、ひいては日本人選手、日本サッカー全体に対する見方も変わってくるだろう。

 とはいえ、長友の挑戦はまだ始まったばかり。世界一のラティラーレ(サイドバック)へ、今はその成長ぶりを見守ろうではないか。

<筆者紹介>

中島雅淑 1983年 9月5日生まれ

19931996 地元の小学校のサッカー少年団でサッカーを始める。 当時は宇宙飛行士を夢見ていて「体を鍛えるため」という名目だったが、次第に魅力に取り付かれていく。

19961998 中学校のサッカー部に所属。 

1999- 高校受験とともに辞め、進学校だった事もあり、一時期サッカーから離れるも、プレーしなくなった事により、見る「目」が肥えてくる。 また、高校2年時にはアジアカップ2000が開催され、再びサッカー熱に火がつくようになる。 

2002- 大学のサークルでプレー。日韓W杯は全試合観戦。また「瑞穂陸上競技場」「豊田スタジアム」で名古屋グランパスの売り子アルバイトをしながら試合を観戦

2003- 大学中退して大阪へ 専門学校のフットサル大会のため体を動かす程度。テレビ局の関係でチャンピオンズ・リーグを定期的に観戦。

2005 3月 インターンシップで第87回センバツ高校野球スポニチの取材補助を経験。

2006- 仕事の関係で東京へ プレーはしなくなるが、WOWOWに加入していたため、毎週リーガエスパニョーラを観戦。

2007- 地元岐阜に帰還。 FC岐阜が財政危機に陥っているという話を聞き、「地元のクラブを助けなければならない」という思いから、定期的にスタジアムに観戦に行く事になる。

また、市民参加型インターネット新聞新聞サイト「オーマイニュース」に登録して、スポーツ記事を主に発信。年末には活躍が認められ韓国での記者交流会に参加。

2010- テレビ局の関係でプレミアリーグを見るようになる。

<エピソード>

嫌がる元カノを無理矢理瑞穂陸上競技場グランパス戦へ、 せっかくガストでいい感じで女の子と食事していたのに02/03のクラシコがテレビ放映されていたため、気がそっちへ行ってしまった実績あり。

波乱万丈な人生を歩む、だが東海屈指にフットボールを愛している27歳の男。

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