【公式】松本忠之「中国人は反日なのか」(コモンズ出版)著者のブログ

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【縦横無尽】変化に対する忍耐力

2010年南アW杯サッカー日本代表選手23名と、2014年ブラジルW杯の23名。両方に名を連ねた選手もいるが、メンバーの顔ぶれはだいぶ変わった。
では、このふたつの日本代表は「同じ」か「別もの」か。これにはふたつの見方が存在する。
まず「同じ」という見方は、「日本代表」という言葉(シンボル)が同じだ。2010年も2014年も名前は「日本代表」だ。2018年にいきなりそれが「本日代表」になることはない。また、ハードウェア(コンテンツ)も同じ。「日本代表の試合」を見に行ったら「中国代表の試合」だった、なんてことはありえない。
次に「別もの」の見方。そりゃ別ものだろう。そもそも監督が違う。岡田監督とザッケローニ監督。監督が変われば練習メニューも管理方法も指示も全部変わる。そもそも日本語とイタリア語、言葉が違う。それのどこが「同じ」か。まして選手の顔ぶれが変われば、それはもはや「別もの」だ。
さて。この「同じ」と「別もの」の見方を個人に当てはめてみる。まず言葉。これはつまり名前だ。名前が生まれてから死ぬまでに変わるのは結婚のときくらい。しかも勝手に名前を変えられない。今後は名前にプラスしてマイナンバーという名の数字まで誕生するそうだ。名前はまさに「シンボル」。また、ハードウェアは身体そのもの。会議なのに会議室に姿が見えず、電話で「課長、私の心は会議室にいますよ」などといったら即刻クビだろう。この名前と身体は「対外的」という共通点がある。つまり、対外的には「私」はいつの時代も「同じ」なのだ。
しかし、「内的」には「別もの」である。小学校に入学したばかりの自分と今の自分。同じわけがない。まず身長が違う。150cmと178cm。このふたつの数字が「同じだ」と言い張ったら、それこそ小学生に逆戻りしてこい、である。体重もまたしかり。細くいえば、昨日の自分と今日の自分も「別もの」。朝起きたら髪が抜けている。髪の毛の本数は昨日と今日で違うだろう。爪の長さも「別もの」。場合によっては精神状態も「別もの」。決してすべてが「同じ」日などない。
そして、なぜかこの「対外的」と「内的」で、「対外的」、つまり「自分は常に同じ」という見方、これが「常識」になっているのが現代である。
なぜ、そうなったのか。恐らく、人間が長年、「安定」を求め続けた結果だろう。「同じ」は安定している。「別もの」は先ほどの例を挙げるまでもなく、「変化」を伴う。変化は「不安定」だ。そして人間は当然、「安定」を求める。狩猟時代には「安定的食料」を求め、現代人は「安定的収入」を求める。これだけの長い期間で対象こそ異なれど「安定」を求め続けた結果、人間の脳みそは「意識」を生み出し、「自分は常に同じ」と「自己意識」を発達させてきた。その結果が結婚のときだけしか変わらない名前であり、マイナンバー制だろう。江戸時代までは日本人は名前を変えていた。だから日吉丸、木下藤吉郎羽柴秀吉と同じ人物でも名前が変わった。歴史に残った名前が豊臣秀吉なだけである。恐らく、戸籍制度やマイナンバー制といったシンボルを変えない社会制度は脳みそ先行で作られた。脳みそが安定を求め続けて意識を生み出し、自己意識を完成させた結果として生まれてきたものだと私は思う。
私が以前、通訳を務めたアントニオ猪木さんは「一寸先はハプニング」という名言を残した。これは変化する不安定さをユーモアたっぷりに表現している。
また、私が最大限に尊敬するプロサッカー選手の中村祐人さんは、とにかく「変化」に対する忍耐力が半端ない。「来年の契約がどうなるかすらわからない、厳しいプロサッカーの世界で何シーズンも過ごしてきたからだ」と口で言うのは簡単だ。だが、そのプレッシャーとストレスは尋常ではない。これまでのプロ生活で、そして今もなお、その戦いを続けている。激動する「別もの」の人生を一歩一歩歩んできたからこその、あの忍耐力であろう。
そろそろ、世間は外ではなく内側に目を向けたらどうだろう。体外的に変わらない自分だけを意識して「私は私。変わらない」ではなく、内なる自分に目を向けて「変わり続ける」不安定な自分を受け止め、耐性を付けていったらどうか。そう、中村祐人選手のように。なぜなら、変化を受け止め、変わる自分を認識してこそ、他者の変化にも寛容になれるし、「別もの」の価値観や文化を持った人たちに対しても理解を示すことができるのだから。

 

中国人は「反日」なのか: 中国在住日本人が見た市井の人びと

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