【「政令指定都市」名古屋は「小都市」鹿島を超えられるか』】コラム:クアットロディチ第三回
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【コラム】クアットロディチ 第三回
『「政令指定都市」名古屋は「小都市」鹿島を超えられるか』
2011年元日。 鹿島アントラーズが清水エスパルスを退け、4度目の元日賜杯を手に入れた。王者はやはり王者だった。
鹿島は勝ち上がりで、二冠もくろんだ、リーグ覇者の名古屋を下している。 リーグでは4位に沈み、名古屋の後塵を拝したが、きっちりとリベンジを果たしたと言えるだろう。
一方で、筆者が東海地方に住んでいることもあるためか、名古屋側から見ると、この敗戦は失望感が大きい。テレビでは特番が組まれ、軒並み「二冠」を期待。「黄金時代の到来か」などとあおりたてるメディアもあった。
ケガ人続出というエクスキューズはあったとはいえ、「超えなければならない壁」を超えなれなかった、その事実のみが残った。
思えば、J創設期から鹿島アントラーズというクラブは常に日本の盟主の座を欲しいままにしてきた。特に2007年の大逆転劇などは「常勝軍団鹿島」を言い表すのに最もふさわしいものだろう。
しかし、これは世界的に見れば異例中の異例のことだ。例えば、ヨーロッパでその国の盟主の座を握っているクラブは必ずと言っていいほど、首都、もしくは主要都市に本拠地を置くクラブ、ということになる。例えばスペイン(マドリー、バルセロナ)、イングランド(ロンドン、マンチェスター、リバプール)、イタリア(ミラノ、ローマ、トリノ)、ドイツ(ミュンヘン、ドルトムント)、オランダ(アイントフォーヘン、アムステルダム)といったようにだ。
これには理由がある。まずは経済的観点、スポンサー的な視点から見て、「都市のレベル」というのは重要だ。 プロクラブである以上、「カネ」の問題がついて回るのは言うまでもないことだが、日本の場合、地方都市より、首都・東京に大企業の本社が集中しているのはもはや周知の事実。大都市のほうが「カネを集めやすい」のは疑いようがない。
第二に人口の問題だ。 確率論から言って、100人の中からメッシを探し出すより、10万人の中からメッシを探し出す方が、その可能性ははるかに高いのは自明の理。
中国経済が今ものすごい勢いで進歩し続けいているのも、地球の総人口の1/4にも達しようかという土壌にモノを言わせ、優秀な人材が次々と出てくるからに他ならない。
前述した名古屋は220万を超える人口を抱える大都市であるし、大阪は240万、横浜市に至っては300万人を超えている。
それなのに鹿島という小さな街が日本サッカー界のトップに君臨している。なぜこのような現象が起きているのか。
やはり、鹿島のスカウティングのうまさだろう。生え抜きとブラジル人を中心とした強力外国人助っ人というチーム作りは長い間変わっていない。 かつてはレオナルドやジョルジーニョという超一流のスターが在籍したこともあったが、一方で高校選手権で大活躍した、FW柳沢敦(現仙台、富山一高)、MF本山雅志(東福岡高)、中田浩二(帝京高)、小笠原満男(大船渡高)、FW興侶慎三(鵬翔高)、大迫勇也(鹿児島城西高)らが長年に渡り、チームの中心選手としてタイトル獲得の原動力となってきた。まるでFCバルセロナの育成プログラムを見るかのような、スキのないシステムが「常勝・鹿島」を支えてきたのだ。
だが、その牙城も、かつては崩れかけた。03、04年の横浜、05年のG大阪、06年の浦和と政令指定都市のクラブ(G大阪の本拠地は大阪府吹田市だが、地下鉄御堂筋線千里中央駅からすぐに市内に出られるため、大阪市も含むと定義する)が優勝を果たしている。しかし栄華は続かず、奇しくも07年から、鹿島が指定席に返り咲き、そこから前人未到の3連覇が始まった。
今回鹿島を止めた名古屋は新たな流れを作り出せるのか。 まず、「都市のレベル」という点では問題ない。最近は名古屋の私立高校はどこも資金を使ってスポーツ強化を推し進めており宮市を輩出した中京大中京の活躍もそれに起因するものだろう。Jリーグ開幕から18年。開幕時に生まれた選手がプロになるような時期にさしかかっている。そういった若年層からの強化が還元されてきつつある頃になったという事だ。
スポンサーに関しても言うまでもなく、トヨタという豊富な資金力を持つスポンサーがついており、そのお陰で昨季はトゥーリオ、金崎ら、大物の獲得に成功した。
さらに、ストイコビッチ監督が明言しているように、「中長期的なスパン」を見据えた戦略として、大学NO.1プレイヤーの永井も獲得。決して現状に満足せず、黄金期を築くために全力を尽くす気構えだ。
指揮官自身が4年目もクラブを率いることになっており、これは同クラブ最長記録。プレミアリーグのファーガソンやヴェンゲルを見れば分かるように、長期的に一人のマネージャーにクラブを任せた方が結果、経営面両方でうまくいくということだ。
以上の点から、「打倒鹿島」そして「Jの勢力図を塗り替える」下地は整ったと言えるだろう。
果たして来る2011シーズン、名古屋、Jの勢力図はどうなるのか。
図らずとも2月に行われる、ゼロックス・スーパー・カップは「鹿島」×「名古屋」という顔合わせになった。 この一戦、ただのシーズン到来を告げるゲーム、というだけでは終わりそうにない。今後の日本サッカーの構図すら占う、そんな試合となりそうだ。
<筆者紹介>
中島雅淑 1983年 9月5日生まれ
19931996 地元の小学校のサッカー少年団でサッカーを始める。 当時は宇宙飛行士を夢見ていて「体を鍛えるため」という名目だったが、次第に魅力に取り付かれていく。
19961998 中学校のサッカー部に所属。
1999- 高校受験とともに辞め、進学校だった事もあり、一時期サッカーから離れるも、プレーしなくなった事により、見る「目」が肥えてくる。 また、高校2年時にはアジアカップ2000が開催され、再びサッカー熱に火がつくようになる。
2002- 大学のサークルでプレー。日韓W杯は全試合観戦。また「瑞穂陸上競技場」「豊田スタジアム」で名古屋グランパスの売り子アルバイトをしながら試合を観戦
2003- 大学中退して大阪へ 専門学校のフットサル大会のため体を動かす程度。テレビ局の関係でチャンピオンズ・リーグを定期的に観戦。
2006- 仕事の関係で東京へ プレーはしなくなるが、WOWOWに加入していたため、毎週リーガエスパニョーラを観戦。
2007- 地元岐阜に帰還。 FC岐阜が財政危機に陥っているという話を聞き、「地元のクラブを助けなければならない」という思いから、定期的にスタジアムに観戦に行く事になる。
2010- テレビ局の関係でプレミアリーグを見るようになる。
<エピソード>
嫌がる元カノを無理矢理瑞穂陸上競技場のグランパス戦へ、 せっかくガストでいい感じで女の子と食事していたのに02/03のクラシコがテレビ放映されていたため、気がそっちへ行ってしまった実績あり。
波乱万丈な人生を歩む、だが東海屈指にフットボールを愛している27歳の男。
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