【イタリア落日の日】コラム:クアットロディチ第十七回(1 of 3)
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UEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦で前回王者インテルがバイエルンに32で競り勝ち、トータルスコアで並んだものの、アウェーゴールの差で辛くもベスト8進出。土俵際で踏みとどまった。しかし最早イタリア勢の地盤沈下は火を見るより明らかだ。
”永遠の都”ローマはウクライナの伏兵シャフタールに手も足も出ず(トータル26)、セリエAで首位を行くミランでさえも躍進著しいトッテナムの前に飲み込まれた。
先日はUEFAリーグランキングも発表になり、ついにイタリアがドイツと入れ替わり、トップ3の座を明け渡し、4位転落。201213シーズンからのチャンピオンズリーグの出場枠はドイツ4枠、イタリアからは3チームのみしか出場できない。イタリアがトップ3圏外となるのは実に24年ぶりのことだという。
2006年ドイツW杯を制覇したものの、その直前に起きたカルチョ・スキャンダルは、イタリア国内だけでなく、世界に激震が走った。
「イタリアは汚いことをする国」というイメージの低下とともに、ユベントスのスクデット剥奪、セリエBへの降格。「漁夫の利」のような形でインテルが優勝を果たし、繰上げ優勝を含めてそれから5連覇を継続。カルチョの国を牛耳っている。しかし、対抗馬がいなくなったことやデータで浮き彫りになっているように、顕著となっている得点力不足など、リーグの魅力は低下。また、若手有力選手は豊富な資金力を持ったプレミアやリーガの一部のクラブへと流れるようになり、スタジアムには空席が目立つようになっていった。
対抗できるのはやはりカネに糸目をつけない、金満オーナー、マッシモ・モラッティのインテルくらいだ。そうした状況もあって、昨シーズンこそインテルがビッグイヤーを掲げたが、ここ数シーズン、ずっとイタリア勢はヨーロッパの舞台で苦戦を強いられてきた。 02/03シーズンのCLではベスト4にユーべ、ミラノの両雄を送り込み、準決勝の舞台でミラノ・ダービーが実現するなど、栄華を極めていた。しかし思えば、この頃すでに「ピーク」は来ており、順調な下り坂をたどっていくのだ。
(続く)
<筆者紹介>
中島雅淑 1983年 9月5日生まれ
19931996 地元の小学校のサッカー少年団でサッカーを始める。 当時は宇宙飛行士を夢見ていて「体を鍛えるため」という名目だったが、次第に魅力に取り付かれていく。
19961998 中学校のサッカー部に所属。
1999- 高校受験とともに辞め、進学校だった事もあり、一時期サッカーから離れるも、プレーしなくなった事により、見る「目」が肥えてくる。 また、高校2年時にはアジアカップ2000が開催され、再びサッカー熱に火がつくようになる。
2002- 大学のサークルでプレー。日韓W杯は全試合観戦。また「瑞穂陸上競技場」「豊田スタジアム」で名古屋グランパスの売り子アルバイトをしながら試合を観戦
2003- 大学中退して大阪へ 専門学校のフットサル大会のため体を動かす程度。テレビ局の関係でチャンピオンズ・リーグを定期的に観戦。
2005 3月 インターンシップで第87回センバツ高校野球のスポニチの取材補助を経験。
2006- 仕事の関係で東京へ プレーはしなくなるが、WOWOWに加入していたため、毎週リーガエスパニョーラを観戦。
2007- 地元岐阜に帰還。 FC岐阜が財政危機に陥っているという話を聞き、「地元のクラブを助けなければならない」という思いから、定期的にスタジアムに観戦に行く事になる。
また、市民参加型インターネット新聞新聞サイト「オーマイニュース」に登録して、スポーツ記事を主に発信。年末には活躍が認められ韓国での記者交流会に参加。
2010- テレビ局の関係でプレミアリーグを見るようになる。
<エピソード>
嫌がる元カノを無理矢理瑞穂陸上競技場のグランパス戦へ、 せっかくガストでいい感じで女の子と食事していたのに02/03のクラシコがテレビ放映されていたため、気がそっちへ行ってしまった実績あり。
波乱万丈な人生を歩む、だが東海屈指にフットボールを愛している27歳の男。
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