【公式】松本忠之「中国人は反日なのか」(コモンズ出版)著者のブログ

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『ある韓国人FWの活躍から読み解く今後の日本人の海外移籍の展望』【コラム】クアットロディチ

イングランド・オランダ・日本・中国の各国の指導者ライセンスを所持するサッカースクール!

小松英之の連載がブログで紹介されました!

【コラム】クアットロディチ 第一回

 W杯イヤーの2010年、例年になく日本ではサッカー会が盛り上がりを見せたと思う。ベスト16に進出したことにより、大会後に日本代表MF香川、DF内田を初めとして、現在も続々と海外移籍をする日本人選手のニュースを耳にする。 しかし筆者が危惧しているのは、多くの選手が最近、泣かず飛ばずの成績で失意のうちに帰国しているという傾向が見受けられる点だ。

 

 もちろん、多くの経験を得られる海外挑戦、悪いことではないのだが、もっと慎重に、「身の丈にあったクラブ」から選んでいればこのような結果は防げたのではないか、と強く思う。

 

 そこで是非とも参考にしてもらいたいのは、お隣韓国のMF、イ・チョンヨンの活躍だ。彼はまだ21歳の若さながら、韓国代表の主力として今夏の南アフリカW杯にも出場し、また、イングランド・プレミアリーグボルトン・ワンダラーズでも主戦力となってる。

 プレミアリーグといえば、日本人選手も何名か挑戦したことはあったが、例えば稲本(現川崎F)は21歳の時にアーセナルのようなメガ・クラブに移籍してしまったため、全く出場機会を得られぬまま、同じロンドンのフルアムに移ることになった。イ・チョンヨンボルトンは、決して強豪クラブとは言えず、今シーズンこそ躍進しているものの(第18節終了時点で6位)、ともすれば残留争いを強いられることもあるようなレベルのクラブだ。EU圏外枠のことを考慮しても、ポジション争いには優位に働くといえるだろう。 

 思えば、あの中田英寿氏も高校時代から「海外に出るため」に頑強な肉体を作り上げ、イタリア語の習得もしており、ペルージャという規模のクラブなら「始めるのに丁度いい」という調査もしっかりしていたという。 事前のリサーチ、身の丈にあったクラブから始める事。これが日本人選手の成功の秘訣ではないだろうか。

 UEFA会長、ミッシェル・プラティニの提言により、様々なクラブにUEFAチャンピオンズ・リーグの出場権が与えられるようになった。 現在本田圭輔が所属しているCSKAモスクワも、ヨーロッパ基準で見ればビッグ・クラブとは呼べないかもしれないが、ロシアにもCL出場権は与えられており、本田もこの舞台で結果を出した。

 

 今の時代、ヨーロッパ中のクラブが至る所に隠れた選手がいないか、スカウト網を張り巡らせているという。

 

 センセーショナルな活躍をすれば、スカウト陣の目に留まらないわけがない。まずはヨーロッパのスタイル、文化、気候、 「慣れる」ための準備期間を作り、それからステップアップしていっても遅くないのではないか。

 

<筆者紹介>

中島雅淑 1983年 9月5日生まれ

19931996 地元の小学校のサッカー少年団でサッカーを始める。 当時は宇宙飛行士を夢見ていて「体を鍛えるため」という名目だったが、次第に魅力に取り付かれていく。

19961998 中学校のサッカー部に所属。 

1999- 高校受験とともに辞め、進学校だった事もあり、一時期サッカーから離れるも、プレーしなくなった事により、見る「目」が肥えてくる。 また、高校2年時にはアジアカップ2000が開催され、再びサッカー熱に火がつくようになる。 

2002- 大学のサークルでプレー。日韓W杯は全試合観戦。

2003- 大学中退して大阪へ 専門学校のフットサル大会のため体を動かす程度。テレビ局の関係でチャンピオンズ・リーグを定期的に観戦。

2006- 仕事の関係で東京へ プレーはしなくなるが、WOWOWに加入していたため、毎週リーガエスパニョーラを観戦。

2007- 地元岐阜に帰還。 FC岐阜が財政危機に陥っているという話を聞き、「地元のクラブを助けなければならない」という思いから、定期的にスタジアムに観戦に行く事になる。

2010- テレビ局の関係でプレミアリーグを見るようになる。

波乱万丈な人生を歩む、だが東海屈指にフットボールを愛している27歳の男。

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