【公式】松本忠之「中国人は反日なのか」(コモンズ出版)著者のブログ

中国が発信している情報を偏見なく紹介します。その他、趣味のサッカー(ガンバ大阪/清水エスパルス/バルセロナ)やお酒の話題など。

特別インタビュー 「中村祐人、福田健二を語る」

特別インタビュー「中村祐人、福田健二を語る」

先日、福田健二選手が現役を引退した。Jリーグ名古屋グランパスでプロデビューを果たすと、その後、南米や欧州などでキャリアを重ねて、香港へやってきた。香港では3シーズン半を過ごしての現役引退。ピッチ外でも福田健二と交流があったという中村祐人に、福田健二引退について聞いた、スペシャル・インタビュー。

—香港で3シーズン半を過ごした福田健二選手が現役を引退されました。香港でプレーする日本人選手にとっては、福田選手は兄貴分的な存在だったんじゃないですか?

中村「そうですね。兄貴分、うん、そうでしたね。面倒見もいいですし」

—中村選手から見た福田選手について語っていただきたく思うのですが、まずは純粋に、一人のFWとしての福田選手について思うことはありますか?

中村「一人の選手として思うことは、『気持ちには引力がある』という森山佳郎さんの言葉そのものの人だなってことですね」

森山佳郎サンフレッチェ広島のユースチーム監督を長年務め、数多くの選手を日本代表に送り込んだサッカー指導者。

—「気持ちには引力がある」まさにそのもの、と。

中村「はい。だからサッカーで言えばボールが集まってくるなと。福田さんには技術や戦術を超越したものがありましたね。それは、サッカー選手としてだけでなく、人間としても本当に素晴らしい方ですので、福田さんの周りには多くの人が集まって来ていました」

—中村選手は同じピッチに立って福田選手と対戦したこともあるわけですが、その時の印象はどうですか?

中村「もちろん、テクニックがあることは言うまでもないんですが、それに加えて、マリーシア(ずる賢さ)も備えている。そういう意味では相手にとっては『いやらしい』選手ですよね」

—なるほど。技術がある上に、ずる賢さもある。

中村「あと、同じピッチに立って思ったことは、ゴールに対するひたむきさが半端ないということですね。それに、なんとしてもチームを勝たせるんだという気持ちと姿勢。何があろうが、誰がいようが、おれはゴールを決めるんだ、チームを勝たせるんだという、そういう気迫がすごかったです」

—技術の部分で特に優れていると思った部分はありますか?

中村「ポストプレーもすごくうまいんですけど、ヘディングが特にすごいですね。タイミングと滞空時間。それがずば抜けていました。それで何回も失点させられましたしね。でも、きれいなゴールだけじゃなくて、泥臭いゴールも決められる。それはポジショニングの良さから来ているんだと思います」

—その他に、福田選手の素晴らしいところはどんなところですか。

中村「周りを鼓舞できる。元気付けることができるとことですね。例えば、(福田選手のチームが)苦しいときに、いきなりものすごいロングシュートを打ってくる。こっちとしては、これだけ攻めてるのに、相手にはこれ(福田選手の一発)があるのかよ、と。そういう、ワンプレーでチームもスタンドも味方につけちゃう。相手にも相手ベンチにも脅威を与える。空気を一変できるプレーができる選手でしたね」

—中村選手から見て、福田選手が香港サッカー界に与えた影響とは、どんなものがあると思いますか?

中村「香港サッカー界の人たちが、日本サッカー界のいいところを学ぼうと目を向けるきっかけになったところだと思います。やっぱり、元々名前のある方で、発信力がありますから、福田さんの発信するものにはみんな目を向けるし注目もする。僕なんかだと、香港の新聞に載るときも『中村祐人(チョンチュン・ヤウヤン)』(中村祐人の広東語読み)なんです。香港でのプレーが長いこともあって、現地プレーヤーのような扱いだったりするんです。でも、福田さんの場合は、フクダさん、あるいはケンジさんなどと、日本語読みにsanをつけて報道されたりする。日本からやってきた選手として認められている証拠なんですね。これはすごいことなんです。そういうところが、福田さんが香港サッカー界に与えた大きな影響だと思いますね」

—香港サッカー界でも、それだけ影響力のある選手だったんですね。

中村「引退するまでの最後の2ヶ月は、福田さん一色、っていうくらいの雰囲気すらありましたから。それから、香港のサッカーファンの投票で決まる『Most Impression Player』という称号があるのですが、それにも選ばれましたから。それくらい、香港のサッカーファンから愛されていた存在だということなんですね」

—中村さんが福田選手の引退を知ったときの心境はどうでしたか?

中村「チーム(黄大仙)が降格したときよりも、頭が真っ白になりましたね。降格のときはまだ思考が働いていたんですが、福田さんの引退のときはそれすら働かなかった。それくらい、インパクトが強かったです」

—そうだったんですね

中村「頭が真っ白になって、で、認められなかったですね、しばらくは。心の中では、どこかのクラブから声がかかって、引退せずに現役を続けるんじゃないかとか。とにかく認めたくなかったですね」

—それでは、ファンや選手から惜しまれながらも引退した福田選手へ、最後に何か一言、いただけますでしょうか?

中村「福田さんらしく、どこへ行ってもがんばってほしいということ。あとは、やっぱり…ありがとうございましたの一言です」

—どうもありがとうございました!

おわりに

実は、私は福田選手の引退が発表される直前、インタビューのオファーを出したことがあった。

そしてそれは、中村選手との対談形式でのインタビューの申し込みであった。

あのフクダケンジが、私のようなインタビュアーのオファーをOKするだろうか…

そう思いつつ返事を待っていると、なんと受けていただけるという。

最終的にはスケジュールの都合でインタビューは実現しなかったが、後日、中村選手があることを教えてくれた。

福田選手がインタビューに応じようとしたのは、「香港サッカー界のためになるなら」という気持ちからだという。

その時に、私は自分を恥じた。あの大物が自分のインタビューに応じるだろうか?などと心配していた自分。

それとは対照的に、香港サッカー界にも大きな足跡を残し、ファンに愛され、惜しまれつつ引退した選手が抱えていた「香港サッカー界のためになるなら」という純粋で献身的な精神。

中村選手がこのインタビューで語ってくれた「サッカー選手としてだけでなく、人間として素晴らしい」という言葉を、私は今、大きな実感を持って受け取ることができる。

同時に、私は中村選手が福田選手について語る中で、涙腺が緩んだ瞬間があったことを捉えていた(私の勘違いでなければ)。

それくらい、中村選手は福田選手との絆を作っており、香港でプレーし、香港サッカー界のために貢献したいと願う同じ日本人プレーヤーとして、シンパシーをもって接していたのだろう。

私は、この二人がまだまだこれからも、香港サッカー界のためにその身を捧げていくのだろうと確信するとともに、そんな二人の生き方に大いに感銘を受け、感動した次第である。

最後に、インタビューに応じてくれた中村選手。そして、このインタビューの間、ずっとそばで助言していただき、情報を与えていただき、インタビューの内容をより明確に、わかりやすくしてくださった中村夫人に感謝の念を表します。

聞き手:松本忠之

※当ブログでは、中国1部リーグの呼称を中国で一般的に使われている「中超」に統一いたします。「中超」は中国語の「中国超級」(中国スーパーリーグ)の略で、日本でいうJ1に相当します。また、香港プレミアリーグについては「香港プレミアリーグ」と記します。