【公式】松本忠之「中国人は反日なのか」(コモンズ出版)著者のブログ

中国が発信している情報を偏見なく紹介します。その他、趣味のサッカー(ガンバ大阪/清水エスパルス/バルセロナ)やお酒の話題など。

【連載】People with Yuto中村祐人と共に1/8

People with Yuto中村祐人と共に

Person 01 松本忠之

オープニング

大変僭越ではあるものの、この企画に登場する第一弾として、私の声をお届けすることとしたい。ありがたいことに、取材を続けるうちに、中村選手との距離も近くなった。当初は取材する側の人間として、あまりに中村選手との距離が近くなるのは望ましくないと考え、言葉遣いや態度など、あえて距離を置くようにしていた。しかし、何度も取材や食事の場を共有させていただくうちに、私はプロのフットボーラーとしての彼だけでなく、人間・中村祐人に惹かれていった。

では、その魅力は一体どこからくるのか。

それは、ピッチにおいて、見る者に歓声をあげさせる華麗なプレーの数々を生み出すあの才能のみならず、そこに人知れず、いや、たとえ知ったとしても、そう易々とは実感できないであろう努力と忍耐がその根底にあるからではないかと私は思った。さらに特筆すべきは、それらとてつもない努力と忍耐を1%ほどもひけらかすことなく、謙虚に、しかし気さくに、こちらに接してくれる、そのパーソナリティである。

私は2014年の年末に初めてスタジアムで彼のプレーを目にした。その時の衝撃は今でも昨日のことのように思い出せる。同時に、一年以上経った今でも彼のプレーを見ているとわくわくさせられる。それは、初めてこの目で見た時のあの衝撃が単なる一時的な印象ではなかったことを意味する。中村のプレーそのものが、見る者を魅了してやまないのだ。

私の大好きなとある歌手の歌詞の一節に、こんなフレーズがある。

「滴が床に落ちるような時間で 僕らは生まれあった 幸せだとか 悲しみだとか 分けあいながら」

そう。同じ時代を生きるというのは、日常生活の中で感じることは少ないが、実は凄まじい確率なのである。人はそれを実感するとき、「あぁ、同じ時代に生きることができて幸せだ」というある種の境地に到達する。私の経験でいえば、宮本輝の「草原の椅子」であり、Baby faceの「奇跡の一夜」(アンプラグドライブ)であり、映画「Music & Lyrics」であり、ルーブル美術館で見た「モナリザ」である。てんでばらばらのこれらに法則性などない。当たり前である。あるのは、私の感性と、タイミングである。同じ時代に生まれ合わせたタイミングのほかに、自分の人生においてこれらの人や作品と出会うタイミング。一日でもずれていたら、ただの感動で留まり、それ以上の高みにはたどり着かなかったかもしれない。

今、私の中でまたひとつ、上述のリストに加わるものが現れた。ジャンルはスポーツ。種目はフットボール。私は、彼のプレーを見られることを、最高に幸せに思う。

考えてみると、今回の企画は自分自身の中にそんな感動を生み出す人物を純粋に追求してみたいという欲求から生まれたのかもしれない。素晴らしい小説を読んだときに、その小説家の人となりを知りたいと追求してエッセイを読んでみたり、素晴らしい曲を聞いた時に、そのミュージシャンのバックボーンを知りたいと追求して音楽雑誌を探してみたりするように。

果たして、中村祐人と共に歩む人々とのインタビューを通して見えてきたものは、私の追求を満たして余りあるものであった。しかし、同時にそこには、単なる夢物語ではなく、地に足つけて日々を懸命に生きる姿が描かれていた。そしてそれはまさしく、我々がサッカーのピッチ上で目にするものとシンクロしている。観衆を魅了してやまないどんなプレーも、そこには人知れず努力に努力を重ねた選手の日々があるということ。華やかなピッチの外で、選手たちは地に足つけて日々ハードなトレーニングや過密な日程を重ねているということ。

次回からはそんな人たちのインタビューをご覧いただきたい。

松本忠之

中村祐人(左)