【公式】松本忠之「中国人は反日なのか」(コモンズ出版)著者のブログ

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【本田圭は新境地を開かなければいけない】コラム:クアットロディチ第十八回

イングランド・オランダ・日本・中国の各国の指導者ライセンスを所持するサッカースクール!

小松英之の連載がブログで紹介されました!

 現在CSKAモスクワに所属する、日本代表MF本田圭佑(24)。「日本人として初めてレアル・マドリーでプレーし、背番号10を背負う」ことを公言し、目標としている彼だが、現在はチーム事情もあり、ボランチでのプレーが多く、輝きを放てていないのが現状だ。メディアではマン・CやACミランが触手を伸ばしているとの報道もあるが、筆者は「本田自身も新境地を開かなければならない」と考えている。

 

 まず、彼の適正ポジションはトップ下、もしくは攻撃的な中盤だ。これはアジアカップMVPなどの実績からも明らかだろう。プロデビューした名古屋グランパスエイト時代はサイドアタッカーの選手だった。 確かに、「自分本来のポジションでないと100%の仕事が出来ない」というのは一理あるが、本田が目指すような超一流クラブは世界でも指折りのタレントが各ポジションにひしめいている。「このポジションしかできない」では競争に勝つことは難しく、ベンチを暖めることも多くなるだろう。ましてや日本人はEU圏外枠の選手扱いとなる。出場停止やケガ人などでチームが異常をきたした時は柔軟に対応できるようにしておくのが、ステップアップへの近道だろう。

 03/04シーズンにはそのレアル・マドリーマンチェスター・ユナイテッドから加入してきた元イングランド代表MFデイビッド・ベッカム(現L.Aギャラクシー)が、チームに元ポルトガル代表MFルイス・フィーゴ氏(現インテルミラノ幹部)が所属していたため、「代名詞」と言われた右アウトサイドを捨て、左やボランチまでこなし、プレーの幅を広げていくことになり、W杯出場(06年ドイツ大会)へつながっていく。

 2010年W杯は残念なケガで棒に振ったベッカムだが、現在アメリカでプレーを続けるベッカムはEURO2012の出場を狙っているという。プレーの幅を広げることは、結果的に選手寿命を延ばすことにも一役買っている。

 

 本田はインタビューで盛んに「もう24なんで、そんなに若くないと思ってますんで、1試合も無駄にできない」といったコメントをしているが、これはサッカー選手の選手寿命の短さから、与えられたチャンスでどれだけ「インパクト」を残せるかがキャリアを充実させられるかのカギだと考えて、毎試合毎試合、自分にプレッシャーをかけ、「焦り」のようなものも生まれているのではないのだろうか。 そこに自分本来のポジションでないボランチでプレーしなければならないイライラが積み重なりプレーのリズムを崩すという悪循環に陥っている。

 普通に考えてもあと2回はW杯に出場できるチャンスはあるのだから、選手寿命を延ばすことも考えてほしい。様々なポジションを経験することにより、「見えてくること」があるはずだ。

 ヨーロッパ№1の座に9回も就いたことのある、”白い巨人レアル・マドリーへの移籍。 それは世界中の選手が夢見、あこがれる夢だ。そのためには苦労はつきものだろう。

 しかし、本田は有言実行の男だ。日本人で初めてUEFAチャンピオンズリーグベスト8に進出したのもこの男だ。必ずや、日本人で初めて「エル・ブランコ」の白いユニフォームに袖を通す日が来ることだろう。

<筆者紹介>

中島雅淑 1983年 9月5日生まれ

19931996 地元の小学校のサッカー少年団でサッカーを始める。 当時は宇宙飛行士を夢見ていて「体を鍛えるため」という名目だったが、次第に魅力に取り付かれていく。

19961998 中学校のサッカー部に所属。 

1999- 高校受験とともに辞め、進学校だった事もあり、一時期サッカーから離れるも、プレーしなくなった事により、見る「目」が肥えてくる。 また、高校2年時にはアジアカップ2000が開催され、再びサッカー熱に火がつくようになる。 

2002- 大学のサークルでプレー。日韓W杯は全試合観戦。また「瑞穂陸上競技場」「豊田スタジアム」で名古屋グランパスの売り子アルバイトをしながら試合を観戦

2003- 大学中退して大阪へ 専門学校のフットサル大会のため体を動かす程度。テレビ局の関係でチャンピオンズ・リーグを定期的に観戦。

2005 3月 インターンシップで第87回センバツ高校野球スポニチの取材補助を経験。

2006- 仕事の関係で東京へ プレーはしなくなるが、WOWOWに加入していたため、毎週リーガエスパニョーラを観戦。

2007- 地元岐阜に帰還。 FC岐阜が財政危機に陥っているという話を聞き、「地元のクラブを助けなければならない」という思いから、定期的にスタジアムに観戦に行く事になる。

また、市民参加型インターネット新聞新聞サイト「オーマイニュース」に登録して、スポーツ記事を主に発信。年末には活躍が認められ韓国での記者交流会に参加。

2010- テレビ局の関係でプレミアリーグを見るようになる。

<エピソード>

嫌がる元カノを無理矢理瑞穂陸上競技場グランパス戦へ、 せっかくガストでいい感じで女の子と食事していたのに02/03のクラシコがテレビ放映されていたため、気がそっちへ行ってしまった実績あり。

波乱万丈な人生を歩む、だが東海屈指にフットボールを愛している27歳の男。

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