【公式】松本忠之「中国人は反日なのか」(コモンズ出版)著者のブログ

中国が発信している情報を偏見なく紹介します。その他、趣味のサッカー(ガンバ大阪/清水エスパルス/バルセロナ)やお酒の話題など。

【縦横無尽】微調整に国際化あり

 

英語表現に"I want you to do it"というのがあり、アメリカ人と仕事をしていると普通に目にする。直訳すれば「あなたにこれをやってほしい」なのだが、ニュアンスを含めると「あなたにこれをやってほしいと私は思っているが、あなたはどうだろうか?」という提案に近い場合もある。
一方、中国人との会話で「要不要?」と何度も問い詰められることもよくある。「要る?要らない?」という意味なのだが、迷っていると何度も聞かれて困ってしまう、なんてことがよくあった。
一見、何の関連性もないように見えるが、このふたつに私は日本文化とのちがいを強く感じた。アメリカや中国では、基本的に何事についても、ひとりひとりが個人の見解を持っているという前提があるように思われる。だから「これについてはこれ」という明確な回答を要求する(される)会話表現が根付いている。
日本の文化は少し異なる。日本の場合はそもそもが個よりも周りとの関連性のなかで自分の意見を述べるようにできているため、「時と場合によるかもしれませんが」などといった前置きが付く表現が多い。
アメリカ人の同僚とアメリカ全土を3週間出張して回ったとき、訪問する先々で、飲み物はコーヒーか紅茶か水かコーラか...と聞かれた。そしてアメリカ人の同僚はその度に必ずコーヒーを頼んでいた。日本ならどうだろう。まず始めに「いえいえ、おかまいなく」という回答は普通にある。そして「何でも構いません」。これもよくある回答だろう。
日本人的には、自分はビジネスで来たのだから、その会議での飲み物ははっきり言って何でもいいのである。まして、自分の好みを指定して相手に手間を取らせちゃ申し訳ないと考える。
対してアメリカ人は個人がひとつひとつに対して意見を持っていることが前提だから、聞くほうも「何でもいい」よりは指定してもらうほうがやりやすいし、だから私の同僚も毎回必ずコーヒーと答えていたのだ。
中国人もアメリカ人に近い。しかし、(あくまで私の感覚だが)中国人のほうが、より直接的だ。私が日本との文化のちがいを感じた冒頭の英文と中文が異なる表現であるのはそのため。中文のほうがより直接的だ。
だから、私は中国人と話すときは「直接度」をMaxに引き上げ、アメリカ人と話すときは「直接度」は「日本以上、中国未満」。そして日本では日本モードにする。今のところ、それでうまく回っている。グローバル化、国際化というのは、もしかしたらこんな微調整も含まれているのかもしれない。

 

中国人は「反日」なのか: 中国在住日本人が見た市井の人びと

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