【公式】松本忠之「中国人は反日なのか」(コモンズ出版)著者のブログ

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【縦横無尽】デビューしないことの意義

【デビューしないことの意義】
私は中学生でギターを弾き始め、高校生の時に友達とバンドを組んだ。以来、25歳で初めての就職をするまで、大学を卒業してからもフリーターをしながら、メジャーデビューを目指していた。
音楽に限らず、お芝居やお笑い、絵画、またスポーツの世界でも、プロを目指す若者は少なくない。そして、その中のほんのひと握りしかプロになれないのは、周知の通りである。
高校や専門学校、短大や大学を卒業したら、就職する。それが「まともな」人生だとして、そういうレールに乗らない時点で、そういう人たちは十分個性的な生き方をしていると思う(「まともな」道を歩む人をディスっているわけではない)。そんな生き方を選ぶ人は、その人にしかない発想やアイデアがあってもおかしくない。
ふと、突然思ったことだが、プロを夢見てプロデビューできなかった人の人生の意義のひとつが、そこにあると思う。もしも、この世で会社に就職する人たちがみな「まともな」道で就職したらどうなるか。プロになる人は生まれた時から決められており、音楽、お芝居、お笑い、絵画、スポーツ…それらで本気でプロを目指して努力し抜いた人たちがまったく存在しない会社だったら、どんな人間関係になるのだろう。
「大学を卒業してから、すぐに就職せず、何をしていたんですか?」と批判的な眼差しで質問してくる人事担当者のいる会社のホームページの採用ページに「我が社はまったく新しい発想ができる人材を求めています」などと書かれていると、思わず吹き出してしまう。「我が社はまったく新しい発想ができる人材を求めています(ただし、大学卒業したら夢を追わずにすぐ就職しなね)」とカッコ書きがついているように思えるからだ。
思うに、「卒業したら就職=まとも」という人生の概念など気にせず、本気でプロを目指した人の中で、プロになれず就職していく(私も含めて)人たちの意義のひとつは、こんなところにあるのだろう。レールに乗らない生き方をできる人間だからこそ、レールに乗らない発想ができるのだ。もしくは、発想はできても、そのアイデアが会社のレールに乗っていなければ、あえて発言しない人たちが多いかもしれない。だが、周囲から「まともに就職しろよ」と言われてもプロを目指す生き方をした人たちなら、発想し、発言もできるかもしれない。
会社、企業、経済界、ビジネス界。そんな世界で異彩を放つ特殊な感性の持ち主。それが、デビューしないことのひとつの意義ではなかろうか。

 

中国人は「反日」なのか: 中国在住日本人が見た市井の人びと

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