【公式】松本忠之「中国人は反日なのか」(コモンズ出版)著者のブログ

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【縦横無尽】香港の逃亡犯条例改正は観念か実感か

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「花の美しさというものはない。美しい花がそこにあるのだ」小林秀雄

この問題は書くのが一番難しい。中国(11年生活)にも香港(渡港は軽く100回超)にも情がある。先日も香港から京都に遊びに来ていた友人に会ったし、中国には毎月行っている。
どちらに肩入れとかではなく書こうとすれば、冒頭の言葉に尽きる。香港に長年住んでいる方のツイートを見た。曰く、「ここが好きだからここで生活している」のではなく、「ここで生活しているからここが好き」なのだと。小林秀雄の言葉に通ずる。これがすべてだと思う。要するに「花の美しさ」(観念)なのか「美しい花がそこにある」(実感)なのかである。
統治する側からすれば「香港とはこういう街である」となる。ここで言う「こういう」には現実的な利害がある。利は現代ではベネフィットと呼び、害はリスクと呼ぶ。ベネフィットだけを吸い取りリスクはヘッジする。そういう力が働いて当然である。その具現化が法制案でありデモ隊の鎮圧だろう。逆に統治される側からすれば「ここで生活してきた。だからここはこれまでの自由が保証されるべきだ」となる。そこには利害はない。利害ではなく「これまでここで生活してきた」という実感こそが存在する。その実感を脅かされれば反発して当然である。反発の表現の仕方を非難する声もあるが、それは非難している側の立場と利害を考えるべきだ。「観念」で言っているのか「実感」で言っているのかである。
私は20代から「観念」を信じなくなった。だから「観念」を捨てた。「実感」こそを底に置いて生きてきた。それでもこの問題で難しいと思うのは、中国(中国の都市や友人)に対しても香港(香港という街や友人)にも実感として親しみがあるからだ。でも最終的には「実感」こそが重要であり守られるべきであると思う。それが自分なりに出した答えである。

 

中国人は「反日」なのか: 中国在住日本人が見た市井の人びと

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