【エンリケは「文化の違い」を乗り越えられるか】コラム:クアットロディチ第三十四回
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小松英之の連載がブログで紹介されました!
20日、セリエA、ローマの監督に就任することが正式に発表されたルイス・エンリケ。
選手としてはレアル・マドリー、バルセロナのスペイン2大クラブでプレーし、スペイン代表でも3度のW杯に出場するなど、活躍した。
2004年の現役引退後は、しばらくサッカーから離れた生活を送っていたが、08年からはバルセロナBチームを率いていた。
アメリカ人実業家トーマス・ディベネデット氏を新たなオーナーに迎え入れ、再出発を図る彼らはどのような道をたどるのか。 それはエンリケ監督が「文化の違い」を乗り越えられるかにかかっている。
かつてイタリア代表として日韓W杯に出場するなど活躍を見せたDFフランチェスコ・ココ氏は以前、インタビューでこのようなことを語っていた。
「僕は自陣ゴールの危険なエリアでは全て蹴り出せと教えられてきたんだ。そうしてイタリア代表にまで上り詰めてきたんだ。でもここ(0102シーズンにレンタル移籍で所属していたFCバルセロナ)ではブーイング。どうしていいか分からないよ。」
ココのこの言葉が両国の”サッカー観”を如実に映し出していると言える。例え勝っても内容が伴ったゲームでなければならない、自陣の危険なエリアでも大きくタッチラインに蹴り出すのではなく、つなぐことを要求するスペイン。
「(ダービーなどでは特に)疑惑のPKで10で勝つのが最高の勝ち方」と言われるほど勝敗に対する執着が強く、内容は二の次、結果至上主義の国イタリア。
現在、欧州王者であり、世界王者でもあるスペインのサッカーは模範とされ、多くのクラブチーム、ナショナルチームが手本としており、イタリア代表もフィジカルばかりのトレーニングを見直し、スペインのように、徐々にボールタッチを多く取り入れたものを増やしているというが、それでも100年を超える歴史で培われた伝統、文化が簡単に変わるものではない。やはりイタリアの伝統はカテナチオであり、堅実な試合運びなのだ。
王冠を脱ごうとしている王様フランチェスコ・トッティの絶対的な後継者も今のところ見当たらないローマ。新オーナーが就任したことで資金は潤沢にあり、戦力補強に困ることはないかもしれないが、今の戦力でミラノの2強に対抗するのは難しいだろう。
現実的な目標はCL出場権獲得圏内の3位確保。エンリケ・ローマはタフなミッションを達成できるか。
<筆者紹介>
中島雅淑 1983年 9月5日生まれ
19931996 地元の小学校のサッカー少年団でサッカーを始める。 当時は宇宙飛行士を夢見ていて「体を鍛えるため」という名目だったが、次第に魅力に取り付かれていく。
19961998 中学校のサッカー部に所属。
1999- 高校受験とともに辞め、進学校だった事もあり、一時期サッカーから離れるも、プレーしなくなった事により、見る「目」が肥えてくる。 また、高校2年時にはアジアカップ2000が開催され、再びサッカー熱に火がつくようになる。
2002- 大学のサークルでプレー。日韓W杯は全試合観戦。また「瑞穂陸上競技場」「豊田スタジアム」で名古屋グランパスの売り子アルバイトをしながら試合を観戦
2003- 大学中退して大阪へ 専門学校のフットサル大会のため体を動かす程度。テレビ局の関係でチャンピオンズ・リーグを定期的に観戦。
2005 3月 インターンシップで第87回センバツ高校野球のスポニチの取材補助を経験。
2006- 仕事の関係で東京へ プレーはしなくなるが、WOWOWに加入していたため、毎週リーガエスパニョーラを観戦。
2007- 地元岐阜に帰還。 FC岐阜が財政危機に陥っているという話を聞き、「地元のクラブを助けなければならない」という思いから、定期的にスタジアムに観戦に行く事になる。
また、市民参加型インターネット新聞新聞サイト「オーマイニュース」に登録して、スポーツ記事を主に発信。年末には活躍が認められ韓国での記者交流会に参加。
2010- テレビ局の関係でプレミアリーグを見るようになる。
<エピソード>
嫌がる元カノを無理矢理瑞穂陸上競技場のグランパス戦へ、 せっかくガストでいい感じで女の子と食事していたのに02/03のクラシコがテレビ放映されていたため、気がそっちへ行ってしまった実績あり。
波乱万丈な人生を歩む、だが東海屈指にフットボールを愛している27歳の男。
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