【公式】松本忠之「中国人は反日なのか」(コモンズ出版)著者のブログ

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【歴史は繰り返すだろうか-9年前の再現を狙うシャルケ-】コラム:クアットロディチ第二十二回

イングランド・オランダ・日本・中国の各国の指導者ライセンスを所持するサッカースクール!

小松英之の連載がブログで紹介されました!

 13日に行われたCL準々決勝2ndレグ、大きなアドバンテージを持って臨んだシャルケは、2-1と、インテルを破りトータルスコア7-3と、まさに「圧勝」。ベスト4へと駒を進めた。日本人として初めてのCL準決勝の舞台へ上り詰めた内田篤人。こうなれば行けるところまで行ってもらいたいところだが、次に立ちはだかるは、過去3度欧州王者に輝いている名門・マンチェスター・ユナイテッドだ。 再び難敵に挑むことになる。

 下馬評では不利だが、今インテルを破ったばかりなのだ。インテルを倒せてユナイテッドを倒せない理由などどこにあろうか? 9シーズン前、決してビッグクラブではないバイヤー・レバークーゼンは同じCLの準決勝の舞台でマンチェスター・ユナイテッドと対戦した。圧倒的不利がささやかれる中、彼らはアウェーゴール数の末、決勝進出を果たした。このシーズン無冠に終わった彼らだったが、当時の躍進は驚きを持って伝えられた。

 やはり歴史を紐解いてみても、ドイツを代表するクラブは”バイエルン”なのだ。初めてビッグイヤーをもたらしたのも、最多優勝も、だ。 ボスマン判決以後、96-97シーズンのドルトムントが欧州制覇を成し遂げた例はあるが、ビッグクラブとそれ以外のクラブの二極化が著しい昨今、近年まではバイエルン以外のクラブは決勝トーナメントを勝ち上がることすら難しかった。

 歴史は繰り返されるか。現在のシャルケには当時のレバークーゼンとの共通点も多い。前述のインテルとのゲームで、先制点を陥れたのは元スペイン代表FWラウールだった。大量点を挙げるしか活路がないインテルが前がかりになったためにぽっかり開いたスペースを抜け目なく狙っていた「らしい」ゴールは事実上、ネッラズロの息の根を止めることになった。かつて元ドイツ代表FWウルフ・キルステンのように欧州での戦いを知っている男が要所で決定的な仕事を果たしている。

 そして準々決勝ではベストイレブンに選出されたDF内田篤人は現在はインテルで活躍するブラジル代表ルシオのように攻守に躍動する。先日のリーグ戦でも正確なクロスからアシストをマークしており、ポルトガル代表ナニ、ブラジル代表エルナンデスら強力なサイドアタッカーを有しているユナイテッド相手にはキーマンとなり得るだろう。

 さらに、ユナイテッドにも付け入る隙がある。リーグ戦の優勝が佳境となり、疲労、怪我人が蓄積しているのももちろんだが、先日イングランド代表FWウェイン・ルーニープレミアリーグ第31節のウエストハム戦で、TVカメラに向かって放送禁止用語を連発してリーグ戦とFA杯で出場停止処分に。またも「奇行」に及んだ。 元々品行方正とは言えない男だけに、チーム全体でルーニーに厳しくプレッシャーをかけ、イライラさせてレッドカードを出させればしめたものだ。 2ndレグでも出場停止になる。

 

 シャルケとしてはそういったことも最大限に利用して「勝機」を高めなければならない。

 最後に、内田の試合後のコメントから「(日本人対決だが、と問われ)日本人はこれからどんどん出てくると思うので、そんなに気にしていない、たまたま初めてだったと言うだけで」というように、日本のマスメディアは「日本人対決」ということを強調するが、日本が世界のトップ10に肩を並べる為には、そんなことに優越感を覚えている場合ではない。遅すぎるくらいだ。一刻も早くそれを”日常化”させて、毎シーズン、CLで日本人がマッチアップする、そんな時代に早くなっていかなければならない。

 

 そういった意味で、今シーズンこの内田や、ドルトムントの香川らが活躍を見せたブンデスリーガは1つのモデルケースとなるかもしれない。 かつても現在は解説者の奥寺康彦氏、風間八宏氏がプレーしていたリーグだが、元々勤勉でまじめな気質があると言われるドイツ人だが、そういったところが日本人の気質と合っているのかもしれない。それがいいプレーを披露できる秘訣なのだろうか。

 来シーズンはドルトムントがCLに出場する可能性が高い。この調子で次々と日本人選手がこの最高峰の檜舞台でプレーしてほしいものだ。

 9年の時を経て、歴史は繰り返されるか。4月26日、シャルケは「赤い悪魔」の退治に向かう。

<筆者紹介>

中島雅淑 1983年 9月5日生まれ

19931996 地元の小学校のサッカー少年団でサッカーを始める。 当時は宇宙飛行士を夢見ていて「体を鍛えるため」という名目だったが、次第に魅力に取り付かれていく。

19961998 中学校のサッカー部に所属。 

1999- 高校受験とともに辞め、進学校だった事もあり、一時期サッカーから離れるも、プレーしなくなった事により、見る「目」が肥えてくる。 また、高校2年時にはアジアカップ2000が開催され、再びサッカー熱に火がつくようになる。 

2002- 大学のサークルでプレー。日韓W杯は全試合観戦。また「瑞穂陸上競技場」「豊田スタジアム」で名古屋グランパスの売り子アルバイトをしながら試合を観戦

2003- 大学中退して大阪へ 専門学校のフットサル大会のため体を動かす程度。テレビ局の関係でチャンピオンズ・リーグを定期的に観戦。

2005 3月 インターンシップで第87回センバツ高校野球スポニチの取材補助を経験。

2006- 仕事の関係で東京へ プレーはしなくなるが、WOWOWに加入していたため、毎週リーガエスパニョーラを観戦。

2007- 地元岐阜に帰還。 FC岐阜が財政危機に陥っているという話を聞き、「地元のクラブを助けなければならない」という思いから、定期的にスタジアムに観戦に行く事になる。

また、市民参加型インターネット新聞新聞サイト「オーマイニュース」に登録して、スポーツ記事を主に発信。年末には活躍が認められ韓国での記者交流会に参加。

2010- テレビ局の関係でプレミアリーグを見るようになる。

<エピソード>

嫌がる元カノを無理矢理瑞穂陸上競技場グランパス戦へ、 せっかくガストでいい感じで女の子と食事していたのに02/03のクラシコがテレビ放映されていたため、気がそっちへ行ってしまった実績あり。

波乱万丈な人生を歩む、だが東海屈指にフットボールを愛している27歳の男。

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