【だが、まだ試合は終わっていない!!-ベスト8に潜む魔物-】コラム:クアットロディチ第二十回(2of2)
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ホームでトッテナム・ホッテスパーを4-0で葬り去った彼ら。 ぐっと準決勝進出を手繰り寄せたが、試合後モウリーニョは、「大勝したが、油断はできないよ。彼らのホーム(ホワイト・ハート・レーン)では厳しい戦いを強いられるからね」とコメント。
かつてチェルシーを指揮していた時、同じロンドンを本拠地とするトッテナムには随分苦しめられたことだろう。 それに加えて、自身が名将としての地位を確立した、03/04シーズンのCLは、筆者も非常に印象に残っているが、波乱に次ぐ波乱の大会だった。 特に準々決勝では1stレグで4-1とACミランが完勝し、誰もが彼らの勝ち抜けを信じて疑わなかった2ndレグで、デポルティーボが4-0と試合をひっくり返すとは。
波乱の大会はまだ終わらない。ファイナリストとなるASモナコは、レアル・マドリーに1stレグで2-4で敗戦、2ndレグも先制点を献上し、勝ち抜けには3点が必要という絶体絶命の窮地に立たされる。 しかし古巣撃破に燃える元スペイン代表フェルナンド・モリエンテスらの活躍で見事このミッションを完遂させ、アウェーゴール数で上回り、次のラウンドへと駒を進めたのだ。この波乱に満ちた大会の頂点に立ったFCポルトの当時の指揮官だったモウリーニョは「一寸先は闇」と言うことを心得ている。当時はマンチェスター・ユナイテッドをアウェーゴールの末に下すなど、”大物食い”をしたが、いまや自らがアップセットを起こされる側だ。
さて、現状、インテルの次ラウンド進出は極めて難しいと言わざるを得ないだろう。次のラウンドに勝ち上がるには4-0の勝利が必要だ。
それでも、彼らの爆発力を持ってすれば、と可能性を感じているのはインテリスタだけではないはずだ。
過去の”奇跡”の再現へー まずは守備の建て直しも必要だが、ショッキングな2連敗を喫しているメンタル面の改善が急務だろう。このまま気持ちの切り替えがいかず、来週に迫った2ndレグに臨むようでは配色濃厚だ。 指揮官レオナルドの手腕の見せ所だろう。
また、キブが出場停止のため、長友に出番が回ってくる可能性が高い。 是非とも、攻守に貢献するそのバイタリティーでチームを活気付けて欲しいものだ。 果たして”奇跡”は起こるか。
(完)
<筆者紹介>
中島雅淑 1983年 9月5日生まれ
19931996 地元の小学校のサッカー少年団でサッカーを始める。 当時は宇宙飛行士を夢見ていて「体を鍛えるため」という名目だったが、次第に魅力に取り付かれていく。
19961998 中学校のサッカー部に所属。
1999- 高校受験とともに辞め、進学校だった事もあり、一時期サッカーから離れるも、プレーしなくなった事により、見る「目」が肥えてくる。 また、高校2年時にはアジアカップ2000が開催され、再びサッカー熱に火がつくようになる。
2002- 大学のサークルでプレー。日韓W杯は全試合観戦。また「瑞穂陸上競技場」「豊田スタジアム」で名古屋グランパスの売り子アルバイトをしながら試合を観戦
2003- 大学中退して大阪へ 専門学校のフットサル大会のため体を動かす程度。テレビ局の関係でチャンピオンズ・リーグを定期的に観戦。
2005 3月 インターンシップで第87回センバツ高校野球のスポニチの取材補助を経験。
2006- 仕事の関係で東京へ プレーはしなくなるが、WOWOWに加入していたため、毎週リーガエスパニョーラを観戦。
2007- 地元岐阜に帰還。 FC岐阜が財政危機に陥っているという話を聞き、「地元のクラブを助けなければならない」という思いから、定期的にスタジアムに観戦に行く事になる。
また、市民参加型インターネット新聞新聞サイト「オーマイニュース」に登録して、スポーツ記事を主に発信。年末には活躍が認められ韓国での記者交流会に参加。
2010- テレビ局の関係でプレミアリーグを見るようになる。
<エピソード>
嫌がる元カノを無理矢理瑞穂陸上競技場のグランパス戦へ、 せっかくガストでいい感じで女の子と食事していたのに02/03のクラシコがテレビ放映されていたため、気がそっちへ行ってしまった実績あり。
波乱万丈な人生を歩む、だが東海屈指にフットボールを愛している27歳の男。
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