【イタリア落日の日】コラム:クアットロディチ第十七回(3 of 3)
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これまでにない危機的状況にあるイタリア。今、誰もが知っている「イタリア=強い国だ」という”神話”は崩壊しつつある。 アッズーリやイタリアのクラブが早期敗退し、選手がうなだれながら引き上げるシーンなんて、見たくない。
では、どうすればいいのか。やる事はシンプルだろう。重複するところも出てくるが、
若手選手育成システムの充実 何よりも定期的にゲームに出場することが重要だ。 もちろんそのためには個人の努力も欠かせないのだが。
国内選手のプレーできる機会を増やすこと 結局はこれが代表強化だけでなく、クラブの強化にもつながるのだろう。
哲学を貫け イタリアには他国にはない「カテナチオ」という概念がある。今、世界中の国がW杯優勝を果たしたスペイン代表のパスサッカーを取り入れ、あのサッカーを「教科書」として実践しているが、イタリアは近年、カテナチオが破られ、大量失点するという試合が見受けられる。 それだけならまだしも、守備陣のお粗末な連携ミスから失点、というシーンもW杯ではあった。 「どうした、イタリア?」と目を疑いたくなるような光景だ。
今一度自分たちの「哲学」を思い返し、突きつめて欲しい。そこから復活への道が開けるのではないだろうか。現在、欧州では来年ウクライナ・ポーランドで共催されるEURO2012の予選が行われている。前回大会(EUEO2008)では、大国イングランドがまさかの予選敗退を強いられた。 イタリアが同じ轍を踏むとは思わないが、今日のサッカー界は何でも起こりうるということだ。今一度、足元を見つめなおして欲しい。
そこからイタリアは復活する。
(完)
<筆者紹介>
中島雅淑 1983年 9月5日生まれ
19931996 地元の小学校のサッカー少年団でサッカーを始める。 当時は宇宙飛行士を夢見ていて「体を鍛えるため」という名目だったが、次第に魅力に取り付かれていく。
19961998 中学校のサッカー部に所属。
1999- 高校受験とともに辞め、進学校だった事もあり、一時期サッカーから離れるも、プレーしなくなった事により、見る「目」が肥えてくる。 また、高校2年時にはアジアカップ2000が開催され、再びサッカー熱に火がつくようになる。
2002- 大学のサークルでプレー。日韓W杯は全試合観戦。また「瑞穂陸上競技場」「豊田スタジアム」で名古屋グランパスの売り子アルバイトをしながら試合を観戦
2003- 大学中退して大阪へ 専門学校のフットサル大会のため体を動かす程度。テレビ局の関係でチャンピオンズ・リーグを定期的に観戦。
2005 3月 インターンシップで第87回センバツ高校野球のスポニチの取材補助を経験。
2006- 仕事の関係で東京へ プレーはしなくなるが、WOWOWに加入していたため、毎週リーガエスパニョーラを観戦。
2007- 地元岐阜に帰還。 FC岐阜が財政危機に陥っているという話を聞き、「地元のクラブを助けなければならない」という思いから、定期的にスタジアムに観戦に行く事になる。
また、市民参加型インターネット新聞新聞サイト「オーマイニュース」に登録して、スポーツ記事を主に発信。年末には活躍が認められ韓国での記者交流会に参加。
2010- テレビ局の関係でプレミアリーグを見るようになる。
<エピソード>
嫌がる元カノを無理矢理瑞穂陸上競技場のグランパス戦へ、 せっかくガストでいい感じで女の子と食事していたのに02/03のクラシコがテレビ放映されていたため、気がそっちへ行ってしまった実績あり。
波乱万丈な人生を歩む、だが東海屈指にフットボールを愛している27歳の男。
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