【公式】松本忠之「中国人は反日なのか」(コモンズ出版)著者のブログ

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【リバプールよ、大なたを振れ!】コラム:クアットロディチ第七回

イングランド・オランダ・日本・中国の各国の指導者ライセンスを所持するサッカースクール!

小松英之の連載がブログで紹介されました!

【コラム】クアットロディチ 第七回 

リバプールよ、大なたを振れ!』

 今シーズン「も」スタートダッシュに苦しみ、未だ中位をさまよっている名門リバプール。 ユナイテッド、チェルシーにはもちろんのこと、ついにはシティにまで大きく水を開けられ、「ビッグ4」の座を返上しかねないほどの体たらくだ。

 リーグ優勝18回はユナイテッドと並び最多の強豪ぶりは見る影もない。

 

 かつての名プレーヤー、ケビン・キーガンが7080年代国内外のタイトルを総ナメにした事を引き合いに出し、「リバプールというクラブは常にトップを走ってきたため、ファンの要求がとても高い。選手やクラブにかかわる人間はそういったプレッシャーに耐えられるメンタリティーを持ち併せていなければならない」とこのクラブの「特殊性」について言及。 そういったクラブカラーを知る人物こそがクラブを率いるのにふさわしい人物だと言っていた矢先、「キング・ケニー」こと、ケニーダルグリッシュの新監督就任が発表された。

 

 以前から噂されていた、まさに「満を持して」の投入だ。

 

 監督を変えたからといって、すぐに結果につながらないのはフットボールの常ではあるが、誰もが今後の巻き返しに期待していることだろう。

 しかし、リバプールはチャンピオンズ・リーグのタイトルこそ0405シーズンに獲得しているが、リーグタイトルは実に21年もの間、遠ざかっている。もっと、「根本原因」を考えなければならない。 「根本原因」ズバリ、スティーブン・ジェラードの処遇である。

 

 アカデミーからリバプールで育ち、イングランド代表でもリバプールでも主力、疑うことなく「メガ・クラック」の一人である彼だが、いかんせん怪我が多すぎる。しかも決まって太もも・ハムストリングの負傷である。

 

 ほとんどの監督なら、誰でも「ジェラードを軸にしたチームづくり」というものを考えるだろう。しかし、この手のケガは12ヶ月と大抵長期離脱になるため、その度に「ジェラード抜き」のプランを考えなければならない。しかも45試合も。

 

 それがシーズンで数回続けば、チームの士気にも関わるし、調子が上がらないのも当然だろう。 そういう意味では短期決戦のカップ戦に強いのは、こういったところにも理由があるのかもしれない。

 

 ではどうするか。  放出もやむなしと筆者は考えている。

 

 もちろん、「イスタンブールの奇跡」の口火を切る一発や、同シーズンのCLグループステージ最終節では2点差で勝たなければ敗退するという状況下で、チームを救うスーパーミドルを叩き込むなど(オリンピアコス戦)数々のチームの危機を救ってきた「スティービー」はファンから”神格化”されているされている面はあるだろう。クラブの”象徴”が放出されれば、ファンからの猛抗議は必至だ。 しかしそれ以上に、タイトルを獲得できていないという事実に、納得していないだろう。

 折りしも今季開幕前には財政難でクラブが政府の管理下に置かれるか、といった話もあったほどだ。 緊縮財政を強いられている状態ではユナイテッドやチェルシーに太刀打ち出来るはずもなく、どれだけコストのかからない「小粒の選手」や「将来の若手有望株」を獲得しても優勝争いに加わることは望めない。

 

 現状を打開するのは一人のクラックのみだ。

 あのACミランもクラブのシンボルであったカカーをマドリーに放出したのだ。どんなクラブにも時代の流れに沿った経営が求められる、そんな時が来たのかもしれない。

 

 これは極論で、正しいかどうかは分からないが、これだけ差をつけられ、20年以上も頂点に立てていないクラブが、プレミアリーグを制するにはこれくらい思い切った改革をしなければ不可能だろう。 かつてセリエAでもリーグタイトルを長く獲得できない時代が続いたインテルのケースがあるが、八百長問題のようなことは、まず起こらない。

 

 世界一熱いサポーターの思いに応えるためにも、フロントは決断しなければならない。

<筆者紹介>

中島雅淑 1983年 9月5日生まれ

19931996 地元の小学校のサッカー少年団でサッカーを始める。 当時は宇宙飛行士を夢見ていて「体を鍛えるため」という名目だったが、次第に魅力に取り付かれていく。

19961998 中学校のサッカー部に所属。 

1999- 高校受験とともに辞め、進学校だった事もあり、一時期サッカーから離れるも、プレーしなくなった事により、見る「目」が肥えてくる。 また、高校2年時にはアジアカップ2000が開催され、再びサッカー熱に火がつくようになる。 

2002- 大学のサークルでプレー。日韓W杯は全試合観戦。また「瑞穂陸上競技場」「豊田スタジアム」で名古屋グランパスの売り子アルバイトをしながら試合を観戦

2003- 大学中退して大阪へ 専門学校のフットサル大会のため体を動かす程度。テレビ局の関係でチャンピオンズ・リーグを定期的に観戦。

2006- 仕事の関係で東京へ プレーはしなくなるが、WOWOWに加入していたため、毎週リーガエスパニョーラを観戦。

2007- 地元岐阜に帰還。 FC岐阜が財政危機に陥っているという話を聞き、「地元のクラブを助けなければならない」という思いから、定期的にスタジアムに観戦に行く事になる。

2010- テレビ局の関係でプレミアリーグを見るようになる。

<エピソード>

嫌がる元カノを無理矢理瑞穂陸上競技場グランパス戦へ、 せっかくガストでいい感じで女の子と食事していたのに02/03のクラシコがテレビ放映されていたため、気がそっちへ行ってしまった実績あり。

波乱万丈な人生を歩む、だが東海屈指にフットボールを愛している27歳の男。

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