【公式】松本忠之「中国人は反日なのか」(コモンズ出版)著者のブログ

中国が発信している情報を偏見なく紹介します。その他、趣味のサッカー(ガンバ大阪/清水エスパルス/バルセロナ)やお酒の話題など。

稲盛和夫の名言

他の人を助けてあげるというのは、仏教では「利他」といいますけど、経営
にはその利他の心がなければなりません。経営の至上命題である利益追求の正
反対側にある「利他の心」がベースになければ、経営は決してうまくいかんの
です。

 

 

中国人は「反日」なのか: 中国在住日本人が見た市井の人びと

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稲盛和夫の名言

幸運というものがあるとするならば、それは逆境から掴み取るものだということです。

 

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【縦横無尽】追悼・橋本治


blogos.com

 

恥ずかしながら、橋本治さんは知りませんでした。
このコラムは、内田樹先生が書いていらしたので、読みました。

「書き手は「自分が知っていること」をではなく、「今知りつつあること」を、遅れて知りつつある読者に向けて説明するときに、もっとも美しく、もっとも論理的で、もっとも自由闊達な文章を書く。橋本さんはどこかで経験的にそのことを知った」

「だから、自分の中に「リアルタイムで知りつつあるもの」とそれを「遅れて知りつつあるもの」の水位差のようなものを設定すれば、言葉は無限に湧出する。そんなふうにして橋本さんは「たぶん自分で自分にきちんと説明できると思うけれど、これまで一度も説明したことがないこと」をそのつどの著作の素材にしてきたのである」

なんという洞察力。
やはり、内田樹先生である。

 

【縦横無尽】小田嶋隆さんという処方薬


business.nikkei.com

 

小田嶋隆さんの文章を読んでいて、「あ、あれに似てるな」と気が付いた。
エクセルだ。
他者から送られてきたエクセルで、非表示が施されているもの。すべて表示にすると、その資料の全貌が見える。
世の中の出来事の報道は、いわば「非表示」が施された状態。でも、その状態で受け止めて、鵜呑みにして、会話することに慣れきってしまっているのが現代人。小田嶋隆さんはそこをすべて表示にしたり、一部の非表示を表示してくれる。
でも、そういう人を「考えすぎ」「細かい」「揚げ足取り」と揶揄する一部の人間がまた存在する。
世の中、というか、特に言葉は、とにかく非表示が多い状態で伝えようと進化してきた。その最たるものが「インパクト勝負」の表現。
小田嶋隆さんのコラムを読むことは、そんな現代病に対する処方薬になっていると実感する。

 

 

 

中国人は「反日」なのか: 中国在住日本人が見た市井の人びと

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【縦横無尽】「社会に出る」

「社会に出る」
私の嫌いな日本語に「社会に出る」というのがある。意味は、要するに人生で初めて社会人となって仕事をするということだ。仕事する前は大概の人が学生だから、学生に対して使われることが多い。
はて。では、学生はどこに存在しているのだろうか。言葉上では、子供や学生はまだ社会に出ていないということになるからだ。子供や学生がいない社会に、明るい未来はあるのか。
ここで言う「社会に出る」が「仕事する」ことだとして、では、社会に出てみたらどうか。東芝は不正会計だし、三菱自動車神戸製鋼はデータ偽装である。「そういう、清濁併せ持つ社会に出て、荒波に揉まれろということだ」。社会に出ろ、まともに働けという大人は、次はこう言うのか。いずれにしろ、学生が出るべきとされる社会は、警察や教師、医師の不祥事を含めても、決して清浄なる世界ではない。
思うに、あの偉そうな態度がいけないのだろう。「社会に出ろ」と学生相手にのたまわる大人(あくまで一部)は、なぜあんなに偉そうなのか。そういえば、学生相手に「社会ってのはな」と偉そうにのたまう大人もいたな。そこには(学生のお前らにはわからないだろうが)という心理が見え隠れ、いや、丸出しであった。
いつから社会に「出る」という言い方が定着したのかはわからないが、どうせなら「デビュー」のほうがよっぽどいい。「いよいよデビューだな」「まだデビューしないのか?」「デビュー先は決まったか?」。こっちのほうが、よっぽど希望がありそうだ。「早く社会に出ろ」より、「君の一日も早いデビューを待ってるよ」と学生に伝えるほうが価値的に思えるのは私だけだろうか。
東芝三菱自動車神戸製鋼だと言ってるが、じゃお前はどうなんだ。そう言われたら、あたしゃ駄目ですよと言うしかない。あたしにゃ、不正会計を指示して収益を水増ししたり、データ偽装を指示して取引先をキープしたりするような高い地位も強い権限もない。仕事が終わりゃビール片手に「今年の清水エスパルスは…」などと愚痴るのが関の山。だから、私は学生相手に「早く社会に出ろ」「社会とは…」などとは口が裂けても言ったことはない。逆に、「社会に出てないなら、子供と学生はどこにいるんだ?」などと的はずれなことをのたまう。でもそれでいいと思っている。子供や学生は社会の外にはいない。社会に出てないなんてことはありえない。社会を構成する大事な大事な人たちで、未来はこの人たちに委ねる以外にないのだ。その意味では、別に「社会に出る」のが数年遅れようと何の問題もない。その証拠に、業績の悪い大手企業を見てみればよい。リストラする企業がありますな。逆に言えば、社会に出たって、会社の都合で「あんたの給料はもう払えまへん」と言われたらそれまで。人生で何度も転職を繰り返すアメリカや中国に行ってみなはれ。え?あの人もう辞めちゃったの?という事例など山ほどある。それで企業や社会が回らないか。アメリカは世界一、中国は世界二位の経済大国である。
ビール片手に清水エスパルスの成績を毎年のように心配するおじさんが学生に言えることは、せいぜい、「社会に出る必要なんてない。この世に生を受けた瞬間から、社会には出ているのだから。それより、君のような前途有望な若者が、いち早くデビューしてくれることを待っているよ」ということくらいか。
清水エスパルスは先週、実に8か月ぶりにホームで勝ち星を飾った。

 

 

中国人は「反日」なのか: 中国在住日本人が見た市井の人びと

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【縦横無尽】デビューしないことの意義

【デビューしないことの意義】
私は中学生でギターを弾き始め、高校生の時に友達とバンドを組んだ。以来、25歳で初めての就職をするまで、大学を卒業してからもフリーターをしながら、メジャーデビューを目指していた。
音楽に限らず、お芝居やお笑い、絵画、またスポーツの世界でも、プロを目指す若者は少なくない。そして、その中のほんのひと握りしかプロになれないのは、周知の通りである。
高校や専門学校、短大や大学を卒業したら、就職する。それが「まともな」人生だとして、そういうレールに乗らない時点で、そういう人たちは十分個性的な生き方をしていると思う(「まともな」道を歩む人をディスっているわけではない)。そんな生き方を選ぶ人は、その人にしかない発想やアイデアがあってもおかしくない。
ふと、突然思ったことだが、プロを夢見てプロデビューできなかった人の人生の意義のひとつが、そこにあると思う。もしも、この世で会社に就職する人たちがみな「まともな」道で就職したらどうなるか。プロになる人は生まれた時から決められており、音楽、お芝居、お笑い、絵画、スポーツ…それらで本気でプロを目指して努力し抜いた人たちがまったく存在しない会社だったら、どんな人間関係になるのだろう。
「大学を卒業してから、すぐに就職せず、何をしていたんですか?」と批判的な眼差しで質問してくる人事担当者のいる会社のホームページの採用ページに「我が社はまったく新しい発想ができる人材を求めています」などと書かれていると、思わず吹き出してしまう。「我が社はまったく新しい発想ができる人材を求めています(ただし、大学卒業したら夢を追わずにすぐ就職しなね)」とカッコ書きがついているように思えるからだ。
思うに、「卒業したら就職=まとも」という人生の概念など気にせず、本気でプロを目指した人の中で、プロになれず就職していく(私も含めて)人たちの意義のひとつは、こんなところにあるのだろう。レールに乗らない生き方をできる人間だからこそ、レールに乗らない発想ができるのだ。もしくは、発想はできても、そのアイデアが会社のレールに乗っていなければ、あえて発言しない人たちが多いかもしれない。だが、周囲から「まともに就職しろよ」と言われてもプロを目指す生き方をした人たちなら、発想し、発言もできるかもしれない。
会社、企業、経済界、ビジネス界。そんな世界で異彩を放つ特殊な感性の持ち主。それが、デビューしないことのひとつの意義ではなかろうか。

 

 

中国人は「反日」なのか: 中国在住日本人が見た市井の人びと

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【映画】花宵道中

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あ、あ、あ、安達祐実がぁぁぁぁぁ!!!

 

 

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